*画像がみえない場合は、ブラウザの更新ボタンをクリックしてください。
2005/01/27 ケロアン〜トズゥール 晴れ 1/27 8:30ホテル出発。 ケロアンは7世紀にアラブ人が侵入し築いた町で、ヴィザンチンが海側、ベルベル人が山側を支配していたため、中間の平野に造られた。現在でもイスラムの聖都とされる。 貯水池の水はアグラブ朝の時代に創建され、ケロアンの西36キロにあるシュリシア山から水道によって運ばれた。 現在ある姿は1969年に修復されたもの。今も市民の水源として使われている。 グランドモスクは北アフリカ最古のモスク、7回おまいりするとメッカに1回おまいりしたのと同じご利益があるとのこと。 ここに華麗なシディサハブ霊廟もある。 オリーブ畑や、おかしな様子の山を見ながらスベイトラに移動。 スベイトラの遺跡は、ビザンチン時代の巨大都市遺跡で、広い地域に神殿やら聖堂、教会、劇場の跡がある。 7世紀半ば、ビザンチン帝国のチュニジアでの最高責任者グレゴアールが帝国からの独立を宣言し自ら皇帝と名乗り、ここに首都を築いたがアラブ兵2万人の攻撃を受け壊滅した。以来廃墟となった。この壊滅がアラブ時代の幕開けとなった。 途中ガフサでトイレ休憩をとり、トズールに着いた 電源:トズールはCタイプのプラグを使用。変圧器も使用。 |
朝8:30出発です | メデイナを通る 買い物は昨日したので見るだけ 9時前のせいか店開き途中の店が多かった |
|
セモリナ粉で焼いたパン これが一般的だそうだ、ぱさつくが噛むほどに味が出る マウスオンで形が違うマクロウド |
メディナの中 チュニジアらしい家 マウスオンで革製品屋さん |
|
9世紀アグラビ朝時代に造られた現役 大小あり大径70mX深4m、小径30X深6m 管理される以前は近くの住民が勝手に水場にしていた マウスオンでその様子 |
貯水池の前でラクダと記念撮影する観光客 勿論有料ですよ |
|
墓地 埋葬するときに頭をメッカのほうに向けるのだ | グランドモスクに到着 640年ウクバ・イブン・ナーフィによって建てられた マウスオンでフランス統治時代のスークの様子 |
|
ミナレットはイスラム最古のもので728年建立 四角形が特徴的なマグレブ様式、高さ31.5m、3階建て マウスオンで向かい側 中庭は大理石でその下は貯水槽になっているのだ |
柱はチュニジア各地のビザンチン遺跡から持ってきた柱を活用したため、時代、細工や高さが異なる 高さ違いの解消のため下にしてあるつっかいの高さが、まちまちであるのがわかる |
|
ここでも柱の違いににご注目 男性が向いている方が内側で異教徒はオフリミット マウスオンで内部画像 寒いので柱の下部にゴザのようなものが巻いてあった |
中庭にあった貯水槽を覗く 自分が水面に写っていた | |
シディ・サハブ霊廟 シディさんはムハンマドの叔父?友人といわれる 装飾が華麗、舌を巻くほどの細密さ、色もきれいだ マウスオンで上部の装飾UP |
霊廟にあったアンダルシアのタイル マウスオンでもう一枚 | |
ケロアンを出て一路スベイトラに向かいます | 奇妙な裸の山並み 手前はオリーブの畑 | |
スベイトラのビザンチン遺跡 広大だ | フォーラム遠景 向かって右はアントニウスピウスの門 この門の後ろに3っつの神殿がある マウスオン 左からミネルバ、ジュピター、ジュノという |
|
アントニウスピウスの門への大通り マウスオンで門のUP |
大通り門の直前 オリーブを加工していた場所、マウスオン |
|
門の中 3っつの神殿は左奥になります | 忘れました、サウナ風呂の近くだったと思います 床のモザイクがきれいに残っている |
|
下に暖かい煙を通したもので上の床を暖めたサウナ風呂、 床の穴は下の様子がわかるように修復してないそうです |
スベイトラの凱旋門 遺跡を出て少し走ったところにあったので街の規模が大きかったことがわかる |
|
トズールに向かいます 途中の町の果物屋さん | 途中の町の モスク ミナレットが6角形だった | |
途中の町の横丁 おっちゃんがひなたぼっこか? 気づいたんだけど、電信柱はスチールだわ |
こんな町も通過しました みて、電信柱 |
|
奥にアトラス山脈、前を貨物列車が通過中 | トズールに着いた |
HOME | 次へ | 戻る | page top△ |