かこたんの なんでもフリーク     武田の里

6/9は日本100名山 瑞牆山登山の予定でしたが、雨と雷予報のため撤退。増富温泉にはいり韮崎駅で解散。女性軍だけ、韮崎駅から「風林火山ゆかりの地めぐり」コースを歩きました。
韮崎駅〜願成寺〜武田八幡宮〜韮崎 約4km(パンフレットより)
13:22 韮崎駅出発
特産品はモモ、サクランボ、リンゴなど。
13:24 まず市役所方向を目指します。
「天神町通り 通開運」とあります。くぐると開運するということでしょうかね。
しばらく、商店街を行きます。
「ドン薬局」のロゴがレトロ。
13:29 雲岸寺 本堂より前に自宅がでーんとあるのは印象が悪い。由来はマウスオン

「窟観音」の碑

本堂の、右側の張り出した岩の舞台みたいなのがあり、赤い御堂が見えます。あれが窟観音。
御堂の建築様式は室町時代のもの。
これを見るのには、はばかられます。
自宅前を通り本堂の右横に行かねばなりませんから。
13:36 道祖神 市役所の反対側にありました。
昭和51年建立とありますが、再建でしょうかね。
韮崎市役所前から県道20号線に出ると、川沿いでした。

「←武田八幡宮」は武田橋を左に渡ります。
13:41 釜無川 上流方向北アルプスが見えます。
川幅はかなり広く、昔氾濫したときは向かって右の市街地に被害を与えたそうだ。
14:02 武田橋を渡ると、川沿いに少し行き、左折。水田地帯に入ります。だんだん小高くなってくる。
軽く、だんだん畑の様相を呈してきます。
14:10 願成寺
ここは参道脇道で駐車場へ入る道。
境内のアジサイはまだ咲いていなかったけれど、ミツバチ(と思う)が、葉の裏に巣を建設中。
カメラに警戒態勢をとっています。
それにしても、アジサイの葉って、落ちるでしょうに。

鳳凰山 願成寺の正面
甲斐武田氏の祖武田信義の菩提寺。
石門が真新しいわけは・・・。
寺の最初の山門が建立されたのは寛文2年(1662年)、約200年後の元冶元年(1684年)、暴風雨のため倒壊してしまったが、ようやく平成2年(1990年)再建。
正面、山門向かって右にあった「禁葷酒山門」
女性と酒は禁止という意味か・・・。
山門に掲げられた山号額はケヤキの一枚板、山門倒潰にも難を逃れ、今日に伝わる。
市指定の文化財。
山号は、後白河法皇から下賜された。揮毫は宋僧・馗安(きあん)。
「武田家始祖 源信義公 八百○追遠記念碑」とあり、韮崎市長 ○○ 登 とありました。
現市長さんとは違うようですね。
願成寺本堂
コスモスが自生して、早々と花をつけているのがあった。
願成寺は寺記によると、宝亀2年(771年)、心休了愚法印によって開創された京都祇園寺の末寺といわれている。延長6年(928年)、地蔵菩薩を安置して願成寺と号したという。信義が諸堂を整備した時、京都より阿弥陀三尊を迎えて奉安し、願成寺の本尊とした。天正10年(1582年)、織田信長の兵火により伽藍は焼失したが仏像は焼失を免れ、今日に伝えられ重要文化財の指定を受けている。
重文の 仏像拝観は要予約。
画像クリックで説明板へ
元、石燈籠であったと思われるが、バラバラにおいてありました。
本堂から山門 本堂の右奥にある武田信義の五輪塔
鎌倉初期の様式であるとのこと。説明文は下に。
14:45 願成寺を後にしさらに、山に向かって歩きます。雨は降ったりやんだり。 水が絶えず流れて、ここの水田はきれいだ。
子供のころ見た、水草!
韮崎市ではホタルまつりがあるけれど、ホタルだ!
稲の葉の上でゆらり、ゆらりしていました。
水面にはアメンボウ。
水を覗くと、いるいる、オタマジャクシにタニシ。
タニシもオタマジャクシもたくさんいた。写せなかったがホウネンエビもいましたよ。
アメリカカブトエビ 外来種だが、水田の益虫だそうだ。 神山町に入ってきた。
このような蔵造りの立派な家が多いのだ。

「明治三十四年三月吉日」とある道祖神

15:38 韮崎西中学校を左折で、武田八幡宮二の鳥居
武田信義の弟加賀美次郎遠が承久2年(1220年)修復したと、社記に記されている。
また、鳥居の神額には元禄14年(1701年)、寛政元年(1789年)それぞれ再建したと記録がある。
現在の鳥居は1979年屋根修理、平成11年大改修。
神額は写しましたが、判読不可でした。
裏に記録があるのかしら。

鳥居脇の道祖神
寛政三年正月と読み取れた。
二の鳥居再建、寛政元年後に置かれたものですね。
神山町で気づいたのは、防火用水が多いこと。
火の見櫓も2か所見かけた。二の鳥居横にも立っていた。
道祖神わきにも消火栓が見える。
重要文化財である八幡宮本殿を守るためかと思う。

二の鳥居からまっすぐ先に、八幡宮。
15:48 「一石百観音石像」 
八幡宮手前の右側にある。1709年造立。
廃寺となった玉保寺から移したもの。
画像クリックで説明文
八幡宮随意門と、石の鳥居(これが一の鳥居?)
石燈籠には「天明五年十一月吉日」とあります。天明大飢饉が天明3年、生き残った人がお礼で建立したのかなと思う。天明5年は1785年です。
随意門を通り抜け石段を上がると神楽殿がある。 さらに石段を上がると・・。
重文「武田八幡宮本殿」
天文10年(1541年)武田晴信(信玄)が完成。
室町時代の様式をみせているとのこと。
画像クリックで説明文
柵でガードされているので近くに行けません。
横から見たところ。屋根にご注目。
顔のようなものが見えるでしょ。
本来、鬼瓦の位置に能面のような、こんなのがついていました。
調べましたが、わかりませんでした。
随意門の内側から石鳥居
我々のほかに、一組の見学者。
無人の神社でしたが、立派な観光Mapが置いてありました。
16:21 八幡宮を後に
釜無川の後方には甲府の山並みが見える。
盆地だなぁと、つくづく感じる。
二の鳥居と火の見櫓

16:30 通りかかった用水路の脇の民家 木はセンダン
よく尋ねられるそうで、名前が書いてあった。マウスオン
栴檀は双葉より芳しっていうから、においを嗅いでみた。香りはなかった。
ここの奥さんはとても親切で、バスの心配をしてくれた。神社に向かうときにも会って、
帰りにも会って、「今バス行っちゃったよ」と教えてくれた。

きれいな水田地帯
すぐにバスがきて、バス停でもないのに乗せてくれた。で、駅までバスで。
 
七里岩 午前中、瑞牆山から撤退中、韮崎駅手前で左側に見えた。
釜無川の侵食により形成された、川沿いに連なる高さ10m〜40mの断崖のこと。
センダン ウツギらしいが・・ コスモス
ゲンノショウコ クサノオウ ノコギリソウ

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ごらんいただき、ありがとうございました。